ばらとコーヒー
信じられないことだが、平日の昼間から花が飾られた自宅のテーブルでドリップコーヒーを飲んだ。しかも読書をしながらだ。
些細なことかもしれないが、これをずっと夢見ていた。こんな些細なことでさえ難しかった。
いつかこの優雅さが当たり前になり、退屈へと色褪せてしまうのだろうか。とんでもないことですよ。この大いなる幸運、幸福への感謝を忘れずに今後もご自愛して生きていきたい。
散髪、身近な祝福
髪を切った次の日、会う人に声をかけてもらうのがこそばゆい。肯定的な言葉を小さな祝福のように感じる。
自分もやはり髪を切った人には素敵ですねとか明るい言葉をかける。それは「誕生日おめでとう」に近いニュアンスだ。似合っていてもいなくても、生まれたことを喜んでても悲しんでても、髪を切ったあなたを祝福し、生きてるあなたを祝福したい。
鉄は楽しいうちに
「継続したければやりすぎるな」とよく聞く。
これは勉強のドリルとかで特に言われること。1日1ページと決めたらそれ以上はしない。何ページもやってしまうと結局続かなくなってしまうと。
感覚的には分かる気がする。飽きるのだろう要するに。でも何か引っ掛かる。そう「鉄は熱いうちに打て」という言葉である。
文章を書くのが楽しい。一つ書いたらもう一つ書きたくなる。
ただここで1日1記事に抑えるべきなのか、書きたいだけ書くべきなのかちょっと悩んでしまう。
自分で書いてても我ながら「そんなもん強制されてるわけでも仕事でもないんだから好きなタイミングで好きなだけ書けばええがな」と思うんだけど、どんなところにもルール化とか効率とかを求めてしまう悲しき真面目人間なんだよね。
ホモ・ルーベンスという言葉がある。遊ぶ人という意味だ。
人の本質は遊びにある。遊びこそが学びであり、遊び自体が生きる目的であるという考え方…なのかな?
自分を制限してしまう癖があるから、遊ぶ人に憧れる。僕は遊びでさえ義務化してしまうのだ。「もっと効率的に遊ぶには?遊びを毎日続けるには?」なんておかしな話だ。
きっと目一杯遊べばいいんだろう。習慣にしようとか、継続とか飽きとか考えず、冷めるのを恐れずに。
鉄は熱いうちに、遊びは楽しいうちに。
無言の客
髪切ってきた。
美容院はかなり苦手だ。別に会話ができないわけではない。初対面やコミュニティ外の人との会話は気楽だ。ただ、会話をしてるとカット失敗されるから、黙って仕事に集中してほしいのだ。なので極力会話をしないで雑誌を読んでいるのだが、その沈黙がちょっと苦手なのである。
1番困るのは視線。会話してれば目のやり場には困らない。鏡を見ていればいい。無言でいたい僕はじーっと鏡を見てるのもなんか変だし雑誌を読むことになるのだが、雑誌が膝の上にあるとカットの邪魔になる時もある。前髪切ってる時などは美容師さんの邪魔にならないよう雑誌を閉じて大人しくしている。この時どこを見ればいいのか分からず、とりあえず目を瞑る。
美容師さんとしてはどんな客がやりやすいんだろう…と思いつつ、やはりマルチタスクをしてほしくはないので今後も美容院では黙っていようと思うのだった。
漢方と似てるもの
あまりにも職場の人間がストレスなので、柴胡加竜骨牡蛎湯という漢方を出してもらった。
本当は柴胡桂枝乾姜湯が合ってたんだけど、一段強いのを試したいですと無理言ってみたのだ。
早く効果を感じたくて1日5包くらい飲みたいところです。いや、でもいいんじゃないか?葛根湯とか1日に6包くらい飲んだりするよね。ちょっと多めに飲んじゃお。
漢方って香水に似てる気がする。
自分にぴったりのを見つける楽しさがある。たくさん種類があるから知るだけでも面白い。
お茶とかパーソナルカラーもそうだけど、バリエーション豊かで自分に関連するものってとても興味深いな。
仕事リタイアしたら漢方薬を勉強するのも面白そうだなー。
……
仕事…やめたい!
まじで!
愚痴を言うのは苦手だけど、弱音を吐くのはめちゃくちゃ得意。
職場の嫌な人間について語るのはなんだか疲れるしやる気が出ない。言葉を探すのも嫌になってしまう。
でも「仕事辞めたい!」とか「急にいい感じの土地を得てリタイア生活したい!」とかは無限に出てきますね。
辞めようと思えばいつでも辞められるんだけど、嫌な人間が1人いなくなりさえすれば望み通りの仕事なんだよな…。
まあせっかく漢方もらったし、これ飲んでもう少し気楽にやりますか。
こうやって文章書いてることもストレス解消になってるのでありがた〜い。ジャーナリング自体はずっとやってたしスマホのメモもあり得ないくらい使ってるけど、やはりブログだと感覚が違う。自分しか見ない文章はありのまますぎてユーモアも明るさも調整しなくていい。正直すぎる分少し暗くなってしまう。自分の感情に自分で深入りしてる感じ。気を付けないとどんどん深みに嵌ってしまう。
でもブログだと、他人に読まれる可能性が1ミリでもあれば少しポジティブに振る舞ったりする。それが自分で自分を元気づけている気がします。少し客観性を持って、純粋な本音じゃないからこそ、自分では思いつかなかったような明るい言葉が出てきたりする。「せっかく漢方もらったし、これ飲んでもう少し気楽にやりますか。」これはひとりでジャーナリングしてたら絶対出てこない言葉だよな。
漢方と日記、続けていくことで少しずつ効果が出るかも。楽しみ。
カボチャのポタージュ
体力つけなきゃということで、旬だし薬膳的にも良さげなカボチャのスープを食べようとスーパーへ向かった。
忙しい現代人である僕は当然のようにレンチンで出来上がるパウチのカボチャポタージュを買おうとしていた。スープの陳列棚には一つしか選択肢がなかった。すごく美味しそうというわけでもないパッケージだが仕方ない。原材料だけ確認してカゴに入れる。
だがたまたま見つけてしまった。野菜売り場でタネもワタも取り除かれブロック状に切り分けられた調理しやす〜いカボチャが30%オフになっているのを。
これレンチンしてフォークで潰して、牛乳とコンソメと砂糖混ぜたらカボチャのポタージュになるんじゃないの?
そして今に至る。
成功しました。
まじでこの世にタネもワタも取り除かれブロック状に切り分けられた調理しやす〜いカボチャが売られていて良かった。スーパーの人たちはやはり現代人のニーズをよく分かっていらっしゃる。そう、カボチャを食べて体力をつけたい人間が、仕事帰りにカボチャのタネとワタを取り除きあの硬い物体を包丁で切るなんて体力的に無理なのである。
これさえあればいつでも簡単にカボチャのポタージュが食べられると分かって大変喜ばしかった。beautiful dayな日記でした。
領地拡大
「BMIが16.7しかない」
久々に実家に帰り、1年ぶりくらいに体重計に乗って衝撃が走ったのはひと月前。
確かにガリガリだが別に今に始まった事ではない。なんだかんだBMI17以上にも以下にもならないので、これが自分の自然体なのだろうと特に気にしていなかった。ダイエットなんかしてないし、普通に食べて普通に生きてる。毎日結構歩いてるし、自炊もしててなんなら健康な方だと思ってた。
まずいな。
そう言われてみれば体力なく疲れやすい、頭痛や冷えや肩こりもある。大病はしないけどメンタルも体も色々不調だ。
よく考えりゃBMI17でずっと生きてたのも不健康な気がする。脂肪がないとセロトニンが減ると聞くし、シンプルに筋肉も減る、てことは体温下がって冷えて血行悪くなり、肩こり腰痛頭痛に眼精疲労などが出やすいんではないか?
逆に言えば、もしかして慢性的な疲れやすい体質もあらゆる不調も、太れば一網打尽にできるのではないか!?
まあそう上手くはいかないにしても、今のままでは良くないだろう。1番太ってた時でBMI18くらいあった気がするんだけど、別にその時も元気いっぱいだったわけじゃないと思う。一度BMI21とかになって超健康体になれるか実験してみたい。
目標はとりあえず18.5として、食事を見直した。
消費カロリーに対して摂取カロリーが少ないから自然とこんなに痩せるわけだろう。もともと食は細い方で、満腹感が苦しいから腹八分目で食事をやめるのが当たり前だった。
1ヶ月、毎日おにぎりひとつ分ほど余計に食べればゆっくり太れるとカロリーを計算した。さすがに毎日おにぎり一個は増やせなかったけど、煎餅一枚とか牛乳一杯とか、地道にやってたわけです。
週に何度か体重を計るのが習慣になった。
増減しながらもじわじわと体重が増えていくのが分かる。結構楽しいし達成感があり、今はBMI17.2。とりあえず平常の体重に戻りつつある。
ちなみに、やはり健康体のためとはいえ「太る」って単語は精神衛生上よろしくない。
なんか良い言い方ないかな。「自己拡張」とか「領地拡大」とか…
BMIによって体質・気力などが変わるかどうかが1番気になるポイントなので、目標の体重になったら比較するのが楽しみ。頑張って領地拡大するぞ。